武士の住まい

武士が住んだ簡素な住宅
~書院づくり~

 栄華を極めた貴族だが、武士の台頭によって、次第に権力を失なっていく。
そして、源頼朝が打ち立てた鎌倉幕府の時代から、武士による政治機構ができ、
本格的な武士政権が始まった。

 では、武士はどんな家に住んで、いたのだろう。
「書院づくり」というのを聞いたことはないだろうか。これが、武士の住まいであった。
書院というのは文書を書く机のこと。部屋にこの書院が取り付けられているのが、書院づくりの大きな特徴だ。
 また、神殿づくりは人が座る所にだけ敷物が敷かれていたのに対して、
書院づくりは部屋全面に畳が敷かれていた。

いまのわれわれの住宅と同じだ。

さらに、天井がある、建具(戸やふすまなどのこと)によって部屋が仕切られている、床の間や違い棚(2枚の板を段違いに取り付けた飾り棚)などの設備がついている、といったことも大きな特徴といわれる

 鎌倉時代の書院づくりは初期のもので、書院づくりが完成したのは、桃山時代だといわれている。もともと武士だけに許された住まいだったのだが、そのうち有力な商人なども住むようになった。
京都の二条城二の丸御殿は、京都の警備のためと、京都に訪れたときの宿として徳川家康が建てた。一番奥の上段の間には、床の間と違い棚、書院がついている。
ここが主人の部屋。
そこにつながる下段の間、三の間、四の間が、主人と、訪ねてきた大名たちとが対面する場だったようだ。時代劇などで、そんなシーンを見たことがあるだろう。

ちなみに、二条城の大広間は、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還を決めた場所としても有名だ。