日本の建築様式「城」

武家政治の象徴だった『城』
~城下町の誕生~

 鎌倉時代の後も武士による政治が続く。武士は戦うのが仕事。戦って相手の領地を奪い、自分の国を築いていく。
負ければ領地を失う。
その戦いの要塞として生まれた建物が城である。

 もともとは、戦うという目的に合った山城(やまじろ山のてっぺんなど、敵が攻撃して来にくい所に建てられた城)が多かったが、戦国時代の後半ごろになると、平城(平地に建てられた城)が一般的になる。
そのころから、城は単なる軍事施設ではなく、政治や経済の中心となり、そのまわりに町がつくられるようになった。
これが城下町である。

 「白亜の大天守」として有名な兵庫県の姫路城は、その規模の大きさ、均整のとれた建築、無駄のない縄張り(城の敷地内の諸施設の配置)などにおいて、世界的にも高く評価され、1993年に世界文化遺産に指定されている。
ちなみに、白亜というのは石灰のことで、その名のとおり白く美しい壁が特徴だ。

 城の石垣は15m近くあり、その上から城のてっぺんまでは、31m。かなり背の高い建物だが、木でつくられている。一番高い建物は大天守と呼ばれ、その横に3つの小天守がつながっている。大天守は外から見ると5階建てだが、中は6階建て。

 さらに、石垣の中に地下室が1階ある。
地下から6階の床下まで、24mもの長さの2本の柱が伸びており、各階の床はその柱に取り付けられている。
その大きな柱が建物全体を支えているのだ。
壁や塀のあちこちに穴が空いており、敵が侵入してきたときに、その穴から銃を撃ったり、石を落としたりして防御するようになっている。また、門をたくさん設けて防衛しやすいっくりにもなっている。