建築の変革期

開国後の建築大変革期
~西洋建築との接触~

 徳川幕府の鎖国制度によって、二百数十年ものあいだ、日本は海外との交流を絶っていた。
ところが1853年、アメリカのぺリーの来航をきっかけに、開国することとなった。

 開国後は、海外から技術者や外交官、商人などが渡来し、その多くは横浜や神戸、長崎などの港町の外国人居留地に家を建てて住んでいた。いまは観光名所になっており、中に入って見学できる西洋建築もある。

 長崎には、大浦天主堂やグラバ-邸など、そのころに建てられた西洋建築が残っており、多くの人が見学に訪れて、異国情緒を楽しんでいる。
1863年に建てられたグラバ-邸は、日本に現存するもっとも古い西洋建築のひとつで、国の重要文化財に指定されている。
当初の持ち主は、幕末から明治時代にかけて活躍したイギリス人商人、卜ーマス・グラバーだ。
この人は、倒幕を計る若い志士を助け、この邸宅の屋根裏部屋に彼らをかくまっていたそうだ。
グラバー邸は木造の平屋建で、屋根は和小屋という日本独自の形式。
建物のまわりは石畳のベランダになっている。これは、ヨーロッパ諸国が東南アジアの植民地に建てていた住宅の形式から来たといわれている。

 また、もともとはL字形だったが、増改築を重ね、中央から各部屋がはりだしたクローバーのような形になった。全体的に開放的で、従来の日本住宅とは大きく異なるが、所々に日本的な部分もあり、和洋折衷という感じだ。
というのも、設計は外国人だが、大工が日本人だったからだ。
このような外国人設計士による西洋風建物の影響を受け、日本の建築は大きく変わっていく。